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宗教法人 本光寺は、真宗佛光寺派のお寺です。


寺院紹介

      真宗佛光寺派 本光寺



寺院名 ・宗教法人 本光寺
山 号 ・高田山
宗 派 ・真宗佛光寺派
宗 祖 ・親鸞聖人
本 尊 ・阿弥陀如来
開 基 ・建武年間(1330年代)
     中興 文明年間(1470年代)
住 職 ・ 菅野久光(釋芳光)
副住職 善本和彦(釋芳泉)
    善本和也(釋芳也)
住 所 ・〒577-0054大阪府東大阪市高井田元町2丁目28番3号
TEL(06)6781ー6365
FAX(06)6781ー6375
honkoji2008@yahoo.co.jp
http://www.honkoji.com
最寄り駅・近鉄奈良線/JRおおさか東線 「河内永和」駅徒歩7分

〔沿革〕
当寺は浄土真宗10派のひとつ、本山佛光寺の中興の祖・了源上人により1330年代(建武年間)に開基、その後1470年代(文明年間)に覚光法師により再興されました。当時、本山佛光寺はいろいろな事情で存亡の危機にさらされていましたが、当寺の覚光法師ら残された僧侶の必死の努力により立て直しをはかり、以降も「本山直末寺」としてその復興に重きをなしてきました。更に江戸時代には学者、医者等も輩出し、寺子屋のみならず、四書五経の講釋も行うなど、教育面でも地域社会に貢献しました。また明治初期には高井田東小学校の校長も務めました。 

〔宝法物〕
阿弥陀如来立像(木像・寛文3年〈1663年〉安阿弥口流大佛師作)
阿弥陀如来絵像、聖徳太子絵伝(6幅)、親鸞聖人絵伝(2巻)
親鸞聖人坐像(木像)、観音菩薩半跏像(石像)、その他
〔施設概況〕
寺地 約1000u・本堂(天保13年〈1842年〉築)・客殿約200u 庫裏約250u・その他、 観音堂、納骨堂、涅槃堂、鐘楼、土蔵、研修室等

〔年間行事〕
1月1日   ・・・修正会(元旦会)
3月下旬    ・・・彼岸会、永代経法要
8月13日    ・・・盂蘭盆会法要
11月上旬   ・・・報恩講
12月31日   ・・・除夜会(除夜の鐘)
その他、写経会(毎月第3木曜日)、命日講(毎月28日)など随時。

          除夜の鐘                       写経
〔基本理念〕
今から約2600年前、釈迦はなぜ人間には生、老、病、死の苦があるのかなぜ貧富の差があるのかなど人生苦の問題を深く考えて出家され、壮烈な難行、苦行を経て完全な真理への道を悟られました。その仏教の教えは、根本的には「縁起の法則」という、一切の事物は因・縁・果の関係でつながっており、物心みな縁によって生じ、縁によって滅する、というものです。しかもそれは時代や社会、科学の発達とは関係なく、永久の真理とされるものです。また仏教では諸行無常・諸法無我・涅槃寂静という三つの原理がありますが、人生の苦しみと悩みはその原理を知らない根本的無知(自分中心で物事を判断し行動する)から起こるものであり、それを佛の智慧の目で真理に目ざめた時、今までの苦悩を乗り越えて心静かな充実した生き甲斐が生まれるというものです。このように仏教は佛のお慈悲によって自分も他人もともに助かり、対立のない融和な世界に生かされる教えでもあります。自分の心に隠されている底知れぬ欲望によって他人を傷つけ、ましてや人を殺すということは、理由の如何にかかわらず許し難いことです。人の命を粗末にすることは自分の命を粗末にすることと変わりありません。今こそ世界は国家や民族、宗教を越えて、人類と地球を護っていかなければならない時です。
         
〔浄土真宗と本山佛光寺〕                        
●2011年(平成23年)には、宗祖親鸞聖人の750回大遠忌が真宗各本山で賑々しく厳修されましたが、その年はまた佛光寺草創800年にあたります。

●聖人は1262年11月28日に90才の生涯を終えられましたが、その間並々ならぬ波乱と苦難に遭われました。本山佛光寺は、建暦2年(1212年)聖人が40才の時、京都山科に建立されたのが創始ですが、当初は順徳天皇より「興隆正
法寺」(略して興正寺)の寺号を賜り、勅願所として真宗寺院の根本道場とされました。

●その後、聖人は高弟の真佛上人に後を託して関東に向かわれ、真宗の教えを広められましたが、真佛上人から法灯が伝えられた第7世・了源上人の時、興正寺を洛東の東山渋谷に移転されました。
その当時、了源上人の教えを慕う僧俗は遠近より参集し、本願寺を凌ぐほど隆盛を極めました。
そして嘉暦2年(1327年)後醍醐天皇より「阿弥陀佛光寺」とするよう勅号を賜ったので、改めて「佛光寺」と呼ぶようになりました。

●従って佛光寺は、了源上人を中興の祖として尊崇しておりますが、その後、鎌倉仏教の隆盛を嫉む比叡山延暦寺など旧仏教からの圧迫を受け、佛光寺も1350年代にかけ苦難に見舞われました。
しかし、それにもかかわらず室町時代には、法義ますます盛んに、特に関西で一大勢力を築くに至りましたが、応仁の乱(1468年)によって諸堂舎ことごとく焼失し、この戦乱の結果、佛光寺は疲弊に傾いていきます。更に追い討ちをかけるように、延暦寺による邪義を口実にした介入により、48坊中42坊(末寺約3000余)が離脱するという、崩壊寸前の状態に至りました。
しかし、本山に忠誠を誓う残された僧侶の必死の努力により、危機を最小限に食い止めて、立て直し新体制をとりました。文明12年(1480年)のことです。

●その後100年あまり苦しい状態は続きましたが、天正14年(1586年)豊臣秀吉の懇請により佛光寺を渋谷から五条坊門(現在の仏光寺通り)に移転し、御影堂を新築しましたが、天明8年(1788年)の
大火により両堂焼失(東本願寺や京都御所も類焼)、数年を経て竣工した堂舎も元治元年(1864年)幕末の兵火により京都は大部分が再び灰塵に帰し、佛光寺も焼失しました。

●明治に入り、明治17年に御影堂竣工、明治37年に阿弥陀堂落慶、その間、明治天皇より宗祖聖人に「見真大師」の諡号を与えられたことにちなんで「見真」の勅額を賜るなど、天皇家や皇族との関係も深く昭和12年には貞明皇太后の行啓などあり、また第29世真照上人は昭和天皇と従兄弟に当たられます。


            本山 佛光寺

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